真備の笑顔のために

【レポート】呉妹地区の動き

2020年4月2日

呉妹 活動報告

呉妹地区の歴史

呉妹地区は数々の歴史遺産の残る地域です。古代には現在の呉妹地区と服部地区は呉服部という一つの集落であり、「古代中国・呉の国から来た、織物職人」というのが地名の由来であったそうです。

吉備真備が晩年になり琴を弾いていたという言い伝えのある、「琴弾岩」。

平安時代にまで歴史がさかのぼると言われている、倉敷市から矢掛町にまたがる標高243mの猿掛山に存在した連郭式の山城、「猿掛城跡」。

呉妹地区の尾崎、石槌山にあるのは、室町時代末期の作品と言われている「石造毘沙門天立像」。

数々の歴史遺産の残る呉妹地区だが、平安期に創設された「熊野神社」は、西日本豪雨発災当時には住民たちの自主避難所になり、最大で200人の人たちが避難していたこともありました。


発災からこれまでの歩み

そんな呉妹地区は発災後、混乱の中でも倉敷市社会福祉協議会の生活支援コーディネーターと地元地区社協が協力し「呉妹訪問型サロン」を開始しました。軽トラックに生活支援物資や被災者支援情報、お茶のセットなどを積み込み、地域をお尋ねしていました。地域の拠点も被災していたため、訪問先の倉庫や車庫がサロンの会場となり、みんなが集まりやすい場所に気軽に集える居場所づくりを応援。今まで当たり前にできていた世間話が、笑顔と気持ちを繋ぎました。

また、8月は「がんばろう呉妹」、10月「呉妹わくわく会」、12月には「オール呉妹交流祭」など、家屋が被災した人もしていない人も呉妹地区みんなで集まれる場づくりに力を注ぎました。

昨年の夏は子どもたちに何か思い出を残してあげたいという想いから、まきびさくら公園で「呉妹宵祭り」が開催され、大きな気球が登場し来場した人たちを楽しませていました。発災から約9ケ月後に地元のお母さんたちで立ち上げた「呉妹を元気にする会」を中心に地元団体や外部支援団体などと協力して作ったお祭りは大成功に終わりました。

大きなイベントだけではなく、月に一度みんなで集まれる場を作り続け、現在は復旧した呉妹分館で毎月第4火曜日にサロン活動を継続しています。


まちづくり推進協議会も少しずつ活動を再開していきました。呉妹分館の復旧を記念した復興祭では、まきび太鼓が鳴り響きました。

秋、中秋の名月には呉妹の伝統、「弾琴祭」も復活。地元伝統の行事の再開は地区住民にとっても、とても感慨深い物だったのではないでしょうか。

その他にも、「3世代交流」や「真備、船穂総踊り」など、元々地域で行われていた行事がゆっくり復活してきています。

 

以前、他の記事でも紹介した、「そーる訪問看護ステーション」や「ホハル」など地域活動を積極的に行っている事業所もあり、そこでのイベントやサロン活動にも呉妹のみなさんが集っています。呉妹を元気にする会や地区社協、呉妹会、まちづくりの方など、色んな人たちがこんな風に一つの場所に集まるようになったのも発災後からかもしれません。

 

西日本豪雨でたくさんの困難にぶつかってきたからこそ感じる人と人との繋がりの大切さ。呉妹地区では、その気持ちを忘れずに、ゆっくり進んでいる所です。

そんな呉妹地区を私たちも見守り続けていきたいと思います。