真備の笑顔のために

【レポート】薗地区の動き

2020年4月2日

活動報告

薗地区の歴史

薗は有井地区と市場地区に分かれており、真備美しい森がある末政地区を源流とした末政川がこの地区の中心部を流れています。

この末政川の西堤防を北へ150メートルほど進むと、堤防下に大日庵があり、境内には明治14年(1881年)7月に建立された「溺死群霊之墓」があります。碑文によると、明治13年6月は、長雨が続き、7月1日高梁川堤防が決壊、有井地区は甚大な被害をこうむったことが書かれています。


発災からこれまでの歩み

平成30年度の西日本豪雨でも末政川の堤防が決壊した薗・有井地区。決壊ポイント付近の民家は土台から浮き上がり傾いたものなども見られ、真備地区の中でも被害の大きかった地域となりました。

そんな薗地区では、発災当時末政川の決壊ポイントから数十メートルしか離れていない場所にあった下有井公会堂がボランティアセンターのミニサテライトとして使用されることになり、被災された民生委員さんと災害NPO旅商人の外部支援により運営が始まります。

ピーク時には1日に約200人のボランティアをこの小さな公会堂で受け入れ、猛暑の中家屋の片付け、復旧作業にあたりました。


発災後3ヶ月、各地ミニサテライトが集約されていく中、下有井公会堂もサテライトとしての役目を終了することになります。末政川沿いは堤防のかさ上げ工事のため、用地買収になってしまうお宅が数多く、下有井公会堂もその対象に入ってしまいました。

地域の人たちにより建てられ管理されてきた公会堂。いずれ解体されることが決まってしまった場所ですが、その日まで有意義に利用できるようにボランティアの手によって支援物資の畳が入れられました。発災前に行っていた地域のサロンが復活し、「女子会」や「ランチ会」「ふれあい会」などが定期的に開催されています。

また「まび美しい森」では、発災当初ボランティアさんたちが宿泊できる場所として解放されましたが、これは美しい森を管理してくださっている地元の方々の協力が大変大きかったと聞いています。


薗地区まちづくり推進協議会では、発災前より色々なイベントを開催し長年継続してきましたが、発災後多くのイベントを開催することが難しくなりました。

そんな中でも、発災後の8月には「夏休みの夕べ」を薗小学校で開催。倉敷市社会福祉協議会の生活支援コーディネーターや、ボランティアととして入っていたteam桃太郎によって竹灯籠の装飾なども行われ、地元住民と支援者が繋がる場を作ることが出来ました。

また、11月と翌年の2月に「薗地区ふれあい広場」を薗地区全体の方々を対象に、復興イベントとして開催することが出来ました。おもちゃや焼き鳥、津山ホルモンうどん等の食の提供や子ども神楽の、歌声喫茶などもあり参加者みんな楽しみました。

翌年にも、8月と11月に「三世代ふれあい広場」として、同様の復興イベントを開催しました。ゲストとしてお呼びした「よさこい連伊呂波」、阿波踊り「かいの木連」、子どもフラダンスの方々が出演して、イベントを盛上げてくれました。この2日のイベントで合計1500人もの人が集まりました。おたがいに久しぶりに顔を合せて再開を喜ぶ姿があちらこちらで見られました。


薗小学校では「小学生だっぴ」が行われました。

小学生が多様な世代の人や生き方と出会い、語り合う場とした活動も行い、他者を受け入れ自己表現をすることで、子どもたちの心のケアや成長へと繋がる活動を目指しています。

 

小地域ケア会議では、それぞれの地域の課題解決のための取り組みをはじめているところです。有井と市場、それぞれの地域で課題もそれぞれですが、地域の役員の皆様や高齢者支援センターをはじめとした専門職のみなさんによって、各地域の状況を可視化できるように地図に情報の落とし込みを始めている所です。

それぞれの地域の課題を抱えた薗地区ですが、だからこそ様々な場所でそれらに対する取り組みがなされようとしています。そんな薗地区をこれからも見守り、寄り添っていけたらと思っています。