真備の笑顔のために

【レポート】岡田地区の動き

2020年4月1日

岡田 活動報告

岡田地区の歴史

真備町の東端、高梁川右岸に沿った岡田地区は、探偵小説家・横溝正史が東京の戦禍を避けて昭和20年5月から昭和23年7月末まで足かけ4年、疎開生活を送った場所として有名です。

また、現在の岡田小学校の場所は、江戸時代の外様大名・伊東家(岡田藩1万343石)の陣屋跡でした。岡田藩陣屋の藩邸主屋は、昭和22年の火災で焼失するまで御殿と呼ばれ、小学校の校長室、教員室として利用されていました。また、陣屋の門付近にあった白壁の塀も、昭和54~55年の校庭拡張工事で撤去されてしまい、当時をしのぶものはほとんどなくなってしまっています。

現在残されているのは校門を入ったすぐの場所にある陣屋時代の長囲炉裏に、そして児童の下駄箱の前には井戸が残されています。

この井戸水は、発災直後の断水時期に避難所トイレ用の水として活用しました。


発災からこれまでの歩み

このような歴史をもつ岡田小学校ですが、一昨年の豪雨災害では、7月6日から11月2日までの間、避難所となり最大2000人の被災者を受け入れました。写真は7月8日の様子です。

まちづくり推進協議会が民生委員と一緒に炊き出しの準備を始めたのが7月6日夜未明。

深夜23:30、総社市の朝日アルミ産業で爆発事故が発生。

工場に一番近い辻田地区での爆発音は凄まじいものだったことは、今でも覚えています。

7月7日、真備町内の各地で越水、決壊が発生する中、早朝5:30より分館でおにぎりと味噌汁の炊き出しの準備を開始。

岡田地区に水が迫りだしたのは7:30頃。

炊き出しの準備をしていたので家に帰ることが出来ず、水が引くまで帰宅困難者が続出しました。


7月21日から10月4日までの間、岡田分館にサテライトを開設。

横溝正史の小説で有名な「名探偵・金田一耕助」誕生の地でもあり、一早く金田一ふるさと募金を開始したり、8月4日に飾る予定だった被災したあんどんの展示を行いました。小説の中にも出てくる「清音駅」。発災後に無料レンタサイクルのステーションや臨時バスの発着点として活躍しました。

どの地区よりもイベントの復活が早かった岡田地区。

10月13日、子どもたちのために若いお父さんやお母さんたちが中心となり岡田秋祭りが開催。

神輿を引っ張ったり、県外から阿波踊りの応援もあり大変賑わいました。

同年11月24日に開催された千人の金田一には町内外から140名のファンが参加。


同時に防災への取り組みも進んでいました。

神戸大学の先生や生徒さんたちと検証会議を重ね、兵庫大学の先生たちとまとめ、先日【逃げる】という防災冊子を制作し、岡田地区の住民全世帯に配布しました。

防災研修として避難訓練を開催したり、国土交通省の河川事務所から専門家を招き、マイタイムラインの勉強会を行うなど意欲的に地区防災に取り組んでいます。

これからも全世代が手を取り合い、豊かな地域づくりが活性化していくことでしょう。