真備の笑顔のために

【レポート】川辺地区の動き

2020年4月2日

川辺 活動報告

川辺地区の歴史

発災前、人口約4000人だった川辺地区は近年は水島工業地帯のベッドタウンとして、最近は真備の中でも商業地として急速に発展してきた地域でした。

歴史的には、古代山陽道の駅家があり、近世は山陽道の宿場町として、また高梁川と小田川の川港として、水陸交通の要衝として栄えた土地です。

江戸時代に宿場町として栄えた折には、ベトナムから献上されたゾウや、日本地図を作成した伊能忠敬も川辺宿に滞在していた記録が残されているそうです。

一方、河川の合流地点という土地柄、高梁川・小田川両河川の水難と戦い続けてきた地域でもありました。そんな川辺地区は元々岡田藩がおかれていた場所でありましたが、水難との戦いが多く、岡田藩は現在の岡田地区へ移されることとなりました。


発災からこれまでの歩み

平成30年西日本豪雨災害では、川辺地区のほぼ全ての家屋が浸水してしまいました。

発災当時から精力的に動いてきた川辺まちづくり推進協議会。

8日の朝には岡田小学校から届いたパン15箱を、浸水した自宅の2階に避難している人たちへ、会長自ら腰まで水に浸かりながら配って回ったそうです。


また、地元のお母さんたちの力も大きく、8月から10月までは川辺小学校で毎日炊き出しも行っていました。

この時の中心メンバーで、発災同年10月には「川辺復興プロジェクトあるく」が発足。

よりスピーディーにニーズに対応していきたい、地域の人たちが交流できる場を作りたい、自分たちの手で安心・安全の川辺、戻りたい・住みたい川辺を作りたい、そんな想いからあるくの活動がスタートしました。

若いお母さんたちならではのアイデアがいっぱいの「あるく」では、より確実な情報をいち早く届けるために、グループLINEを立ち上げました。現在でもLINEでの情報共有は続けられており、約700人の住民がグループに入っています(2020年3月現在)。

その他にも、地域のサロン的な場所として、「ヨガの日」や「パンの日」などみんなが集まりたくなるような継続した活動が続けられています。


真備の他地域でも行われている小地域ケア会議。

川辺地区では「腹を割って話そう会」と題して、本音で地域のことに向き合おうと、各種役員が集まって月に一度会議を進めています。ここでは主に課題となっているのは「要援護者」のことについて。普段からの助け合いもさることながら、やはりみんなが気になっているのは、緊急時にどうやってその人たちに手を貸すかということです。

2019年3月、災害を越え、川辺をどんなマチにしていきたいかを話し合う「第1回 川辺みらいミーティング」を開催。

参加対象者は川辺に住む住民さんならだれでも。

 

アンケートの中で見えてきた「安心安全に暮らせるまちづくり」への関心の高さから、第2回目以降は防災への取り組みが始まりました。

元々土地が低く、水害時には地区内に避難する場所が少ない川辺。水害のリスクが高い地域にこれからも住み続けるためにどんなことに取り組んでいけるのか。2020年1月には内閣府や倉敷市とも連携した第3回目のワークショップが行われました。現在実行委員会として、まちづくり推進協議会やあるく以外でも、防災に関心の高い住民さんが参加して、自分たちの手で会を作り上げていっています。


「防災」に取り組む時に出てくる課題は、声掛けし、助け合える

「町内会」単位の隣近所とのお付き合いです。

まちづくり推進協議会では、およそ60弱ある川辺の町内会の現状把握とこれからの地域づくりのために、2019年11月より「町内会どうなっている会」に取り組み始めました。

ほとんど全てが浸水してしまった川辺ですが、だからこそみんなが力を合わせて進む力になっているのではないでしょうか。

「地域づくり」×「防災」双方向で取り組む川辺地区。

川辺のみなさんのこれからに期待です。