真備の笑顔のために

【レポート】服部地区の動き

2020年4月2日

服部 活動報告

服部地区の歴史

北側を小田川が東西に、東側を真谷川が南北に走り、南側は標高310メートルの弥高山が横たわる服部地区。江戸期はじめ、この地方を領有することになった岡田藩・伊東長実が領地入りし最初の陣屋を構えたのが、服部谷本本陣。その後、伊東家が川辺に移った後も、そこを引き継いだ者の子孫によりその本陣は代々受け継がれてきました。

 

家並み、田畑、山、川など、昔ながらの風景が残る服部は、

各地区ごとに寄り合いが催され、何ともなくとも人と人が顔を合せることができる地域でもあります。


発災前の取り組みと発災からのあゆみ

地理的に川と山に挟まれすり鉢状になっており、一昨年の豪雨災害時は真谷川が決壊し、約7割の家屋が浸水被害を受けました。

 

服部は水に浸かってしまう所として先祖代々より言い継がれてきたからか、平成26年からは小地域ケア会議で見守り活動を開始。全戸にアンケート実施し、災害時に助けが必要かどうか、個人台帳の作成を行い月に一度の見守り活動を続けていました。


発災後は、まちづくり推進協議会を中心に地区民集いの会を開催し、地域の人たちがお互いに励まし合ってきました。

元々繋がりが強い住民たちにとって、お互いが顔を合せられなくなることは家族と離れ離れになってしまうような気持にもなったのではないでしょうか。

そんな中、外部支援の力を借りながら発足したのが「きずなサロン」。被災した地域住民自身の家屋を仮復旧させてのサロン開催でした。

男性も女性もみなが集まり、一緒に食事の準備をしながら、「最近はどがぁながぁかなぁ?」と何ともなしに会話が生まれます。

そんなサロンも一時は開催場所の公費解体などで、継続をどうするかという問題にも直面しましたが、現在は復旧した服部分館で「にこにこサロン」として生まれ変わり、新たな参加者も増えているようです。


農業を営む世帯の多い服部では、サロンの時にそれぞれが持ち寄った野菜などが地元のお母さんたちの手によって、懐かしい味へと調理されているところも魅力的。

各地区の小さなサロンも開催されており、生まれ育った場所で昔からの顔なじみの人たちと顔を合せることが何よりの楽しみになっています。

昨年からは、まちづくり推進協議会の行事も発災前とほぼ同じように復活してきているそうです。

小地域ケア会議では、各地区の代表者たちが見守支援対象の方々のことをきちんと把握されていることからも繋がりの強さを感じます。

 

みんなで力を合わせて進んできた服部地区。

人と人の繋がりの強い素敵な地域です。