河川事務所の所長・前所長に聞く、真備地区と密接に関わりながら進めた真備緊急治水対策プロジェクトの4年半とこれから
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平成30年7月豪雨災害から4年半が経ちました。甚大な被害を受けた倉敷市真備地区では、当時の経験を踏まえてさまざまな防災への取り組みが行なわれています。
なかでも地元住民からの期待が大きいのは、真備緊急治水対策プロジェクトです。小田川合流点の付け替えや堤防の強化など、工事が急ピッチで進んでいます。
プロジェクトを管理しているのは、国土交通省 中国地方整備局 高梁川・小田川緊急治水対策河川事務所(以下、河川事務所)です。前所長の桝谷有吾(ますや ゆうご)さんと現所長の濱田靖彦(はまだ やすひこ)さんに、プロジェクトの進捗状況や真備との関わり方について話を聞きました。
令和6年3月末完成を目標に、プロジェクト進行中
▲令和5年3月8日撮影
―真備緊急治水対策プロジェクトの基本的な考え方と、進捗状況を教えてください。
濱田:
平成30年7月豪雨災害を受けて、平成30年度から始まったプロジェクトです。メインの小田川合流点付替え事業は、当初の完成予定から5年前倒しし、令和6年3月末完成を目標に実施しています。工事は順調に進んでいて、令和5年3月現在78%の進捗率です。
その他、小田川の河道掘削は令和3年6月に終了し、小田川の堤防の強化は令和4年3月に概成。引き続き、堤防強化の未実施のところを施工する予定です。
―事業を進めるうえで、苦労していることはありますか?
濱田:
掘削の作業と堤防の土作りですね。掘削については、一番大きな掘削箇所である、南山の下から硬い岩が出てきたため、現場は苦労していました。また掘削した土はそのままでは堤防に適さなかったため、他の掘削土と混ぜながら堤防に適した土に調整しながら実施しました。
ただ一番のプレッシャーは、前所長の桝谷さん時代に「R5完成予定」と、堤防にでかでかと書いて地域のみなさんに認知されていたこと(笑)。絶対に工事を遅らせることはできないと、着任当時は非常にプレッシャーでした。
桝谷:
「R5完成予定」と書くのは、真備のみなさんと一緒に考えて決めました。
私は「がんばろう真備」と書いてはどうかと思ったのですが、真備に7地区あるまちづくり推進協議会の会長さんたちに相談すると、「もう充分がんばっているから、他の言葉がいい」「工事するのは分かるけど、いつまでに何をやるのかわからんと周りから言われる」とおっしゃっていたので、完成予定のタイミングを書くことにしました。
真備のみなさんが言うには「あれが一番寄り添ってもらえたと思えた」と。しっかり工事を進めることを目で見える形で表明したことを、意気に感じてくれたのだと思います。
結果として、地域に工事を理解してもらえたとともに、行政や工事業者も期間内に完成させよう!という強い思いを一緒に持てて、一体感をもち、同じ方向を向いて工事を進めていけるきっかけにもなったと思います。
災害発生時の印象は「茶色」
▲平成30年7月9日撮影
―災害が発生してから着任するまで、真備に来たことはありましたか?
桝谷:
私はありませんでした。災害発生当時は東京で危機管理部署にいて、都内から離れられない状況でして。真備で何が起きているかを把握しながら、東京で防衛省や警察、消防と連携し対応していました。
河川事務所が真備にできたのが令和元年4月。災害発生から8か月後の着任でした。
濱田:
私は何度か真備に来ました。広島の整備局で予算担当の補佐をしていたので。
災害発生直後の印象は……、色で言ったら茶色。泥が乾いて埃が舞い、道路も土色でした。家の2階の窓が開いているのに人の気配がなかったのも、非常に印象に残っています。
プロジェクトが5年前倒しになることは、予算担当のときに決まりましたが、正直当時も「え?!」と思いました。しかしながら、被害状況を目の当たりにしていたからこそ早急に対策する必要性を感じていました。ただ、そのときは5年短縮できるような予算を組むだけで、所長を引き継ぐとは思っていませんでしたが……。
本音で話せたきっかけは、女性の声を聞いたこと
―真備のまちづくり推進協議会のみなさんから、桝谷さんの話を度々聞いていました。仕事でもプライベートでも、地元の人と接するうえで意識していたことはありますか?
桝谷:
僕らも真備のみなさんも、お互いにいい関係を築きたいと思っていました。最初は地域の方とコミュニケーションをとれる環境を意識的に整えていましたね。
そもそも、国交省の事務所を被災地のなかに作ることはあまりないんです。色々な思いの捌け口になってしまうとお互い気持ちよくないから、あまり前例がなかったのだと思います。ですがぜひ僕らがやっていることを理解してもらいたいし、真備の人からも頼ってもらいたいと思って取り組んでいました。
女性たちの声を聞いたのが、真備のコミュニティに入れた一番のきっかけだったと思います。説明会を開くとどうしても声を上げられない人がいて、男性からは質問をいただけたのですが、女性からはあまり質問をいただけなかったんです。隣近所の付き合いなど真備の中でのコミュニティは女性のほうが活発だと思ったので、各地区の集会やイベントの情報をSNSや広報誌で見つけては勝手に行って、話を聞かせてもらっていました。
だんだんと本音ベースで話してくれるようになったり、友達同士の集まりに呼ばれて話をさせてもらったり。名前や顔を覚えてもらえたことで、「国交省は敵じゃない」という認識が一気に広がったと思います。濱田さんが地元との関係を継続してくれているのはありがたいです。
濱田:
着任するときは、「被災地の真ん中にある事務所ってドキドキするな」と緊張していました。でも真備に来たら、その緊張は必要なかったです。真備はいい人が多くて、突然行っても最初から受け入れていただいたのは非常に助かりました。桝谷さんがやってきたことを、私も継続していこうと思いましたね。
今ではもう、地域のイベントには一人の住民として遊びに行ったり、手伝ったりすることが増えています。
行政主導ではなく、真備のみなさんがやりたいことを叶える
―真備で様々なことを行なってきたと思いますが、とくに印象的だったことはありますか?
桝谷:
僕は真備のみなさんがやりたい、やるべきと考えられていたことを形にしてきたのだと思っています。
例えば、マイ・タイムラインの作成や以前行なっていた真備復興スタディツアー、小田川の河川敷に作ったマレットゴルフ場もそうです。全て各地区で挙がった声をもとに、一つひとつ取り組んできました。僕がやったことと言えば、こうやったらできると思うと少しアドバイスしたり、真備に住む人同士を繋げたりしたことくらい。地区ごとの活動を「がんばっているな」と思いながら参加させてもらっていました。
「地域の思い」の実現に関われたのはよかったなと思います。
濱田:
私も真備のみなさんがやりたいことをお手伝いすることが多いです。行政主体で「やりましょう」と行っても活動自体続かないと思うので、やりたいと考えられていることに背中を押してあげるのが一番いいのかなと。今も行なっています。
一方で私がやりたいと思ってやったのは、真備のみなさんを広島へお連れして、各地区の活動をパネルディスカッションしていただいたことです。真備の活動を全国に届けたいと思いまして。
真備のなかでも違う地区で行なっている取り組みは知らないことが多いので、お互いを知るきっかけを作りながら横の繋がりを作れたらと思っていました。
相談ごとがあれば、気軽に事務所へ来てほしい
―真備緊急治水対策プロジェクトは令和6年3月に終了する予定ですが、その後は真備とどのように関わっていきたいですか?
桝谷:
今はどの地区も自発的に活動しているので、真備は変わらず進化していくと思っています。河川事務所の関わりの度合いによらず、さらにいい地域になるはずです。
個人的には、せっかくできた縁なので1年に1回は遊びに行きたいし、少しでもかかわっていきたいという思いがあります。僕の子どもは真備の幼稚園に通っていたので、子どもにとってもいいふるさとなんです。今後も、真備との縁が続くといいなと思っています。
濱田:
河川事務所は、プロジェクト後どのようになるか決定していませんが、一個人としてはイベントに参加したり、お手伝いしたりしていきたいと思います。
この仕事をやっていて、ここまで地元の方との繋がりが深くなったのは今までにないので。仮に真備を後にする時が来たとしても、中国地区の圏内にはいますので、遊びに来ようと思っています。
―最後に、真備に住むみなさんへメッセージをお願いします。
桝谷:「本当にありがとうございます」というお礼しかないです。河川事務所の活動が工事も含めて順調に進んでいるのは、みなさんが理解してくれているからだと思っています。
何より、真備で気持ちよく生活できるように整えてくださったことに感謝しています。真備に住みながら働いている職員は多いですから、ありがたいことです。引き続きプライベートで皆さんと関わらせていただけたらいいなと思っています。
濱田:
本当に、みなさんには非常にご協力いただいています。工事の音がうるさいなど、文句を言いたい人はいっぱいいると思うんです。でも、声に出される方はすごく少ない。みなさんのご理解とご協力のおかげで、工事を順調に進められていると思っています。
予定通り、あと1年で工事を終わらせるのが恩返しになると思っています。令和5年度はまだ河川事務所がありますので、相談事は何でも言っていただければと思います。ぜひ気軽に来てください。