真備の笑顔のために

「真備連絡会」や「お互いさま・まびラボ」を通して見てきた、災害前後の真備とは ~誰一人として置いてきぼりにしないまちづくりの始まり~

2023年3月30日

全地域 活動報告

平成30年7月豪雨災害から4年半。真備の各所では、災害に強いまちづくりをしようと様々な取り組みが行なわれています。

 

その一人が、特定非営利活動法人岡山マインド「こころ」の代表理事として、また一般社団法人お互いさま・まびラボの副代表理事として活動している、多田伸志(ただ しんじ)さんです。多田さんは昔、まきび病院の相談員として勤めた経験から、精神障がいのある方が安心して暮らせるような場づくりにも長年携わってきました。

 

代表的な活動に、「真備地区関係機関・事業所等連絡会(以下、真備連絡会)」と「お互いさま・まびラボ」があります。多田さんによると、災害前からの活動が災害後のまちづくりにつながっているとのこと。どのような活動をしてきたのか、多田さんからは今の真備がどのように映っているのかなどを聞きました。

 

自分のことを隠さず話せるまちをつくりたい

 

多田伸志(ただ しんじ)さん

 

―「真備連絡会」と「まびラボ」の活動内容を教えてください。

 

多田:
もともと真備では、精神障がいのある方を中心に自分の病気や人に言いづらい体験を隠さずに話し、みんなで共感し合う場(テーブルまび)を15年ほど続けています。平成27年10月からは、精神障がいのある方に限らず、高齢分野の方や子ども分野の方々も一緒に誰でも参加できる場として「真備連絡会」が生まれました。

 

「一般社団法人お互いさま・まびラボ」は、平成30年7月豪雨災害から8か月後に設立した団体です。災害発生後、様々な要配慮者のみなさんが応急仮設住宅にバラバラになりました。その方々の移動の足が要る。真備連絡会は2018年11月1日に、障がいのある方や高齢の方などの移動支援生活支援を行う「お互いさまセンターまび」を立ち上げて活動を始めました。

 

―なぜ「真備連絡会」を設立したのですか?

 

多田:
「真備連絡会」が生まれる前から、精神障がいのある人が自分のことを隠さずに話せる場を作っていたんです。「テーブルまび」と名付けて、現在も毎月第2日曜日の13時からで、続いています。

 

誰も否定しない場で話をすることで、それまで言えなかったこと、隠してきたことを初めて言えて、少し気持ちが楽になったり、悩みを解決し合ったりする場になっていました。

 

すると参加者の一人が「僕らだけではなくて色々な人の声を聞きたいし、僕らも色々な人に向けて隠さず話せたらいいよね」と言い始めて。「それいいね!やろう!」となり、高齢分野をはじめ、児童分野や医療機関など、様々な事業者さんや保健師さんたちに声をかけて活動を広げていきました。みんなで一緒に「テーブルまび “みたいなもの”」と名付けて活動するようになり、やがて会長も規約もない任意の会「真備連絡会」と名前を変えていきました。

 

参加してくださった真備の様々な医療・福祉分野のみなさんの現場で順繰りに開催し続けて、ひと通りぐるりと1周し、お互いの顔と現場が見えるようになってきたタイミングで、「みんなで楽しいイベントをやろう!」と「地ビールと音楽の夕べ」の準備をしていた。その直前に西日本豪雨災害で被災しました。

 

「要配慮者の足になろう」、そこから生まれたのが「まびラボ」でした

まびラボ

 

―災害発生時はどのような状況でしたか?

 

多田:
まちが全滅しました。真備連絡会の仲間たちもほとんどが被災。でもそれまでのつながりがあったおかげで、被災後1か月で集まる場を作れたんです。互いの近況を伝え合い、助け合いながら情報共有していました。仲間の事業所がドロドロということは、そこを利用していたみなさんの暮らしもドロドロでバラバラなことを意味するんです。そして今急いでせねばならないことを考えました。

それが「移動支援」と「生活支援」でした。その事業を継続する機動部隊が必要だと感じたんです。だから「一般社団法人お互いさま・まびラボ」を復興まちづくり会社として設立しました。

 

活動拠点だった「お互いさまセンターまび」は「移動支援」を5,798件、「生活支援」を827件走りました。真備は発災から4年で被災された方の9割が真備へ戻られました。お互いさまセンターを利用して下さった方々の多くも、真備での暮らしの再建をされてきた2022年4月、発災から行なってきました「移動支援」や「生活支援」の活動も一旦終えています。ただ、今でもたまに困りごとの電話をいただくことがあるので、必要に応じて対応しています。

 

まびラボ

 

―「移動支援」や「生活支援」は、具体的にどのように活動していたのですか?

 

多田:

軽四3台と軽トラック2台で、被災した人をドライバーとして5名雇用しました。ドライバーのみなさんは3年半の間、無事故で走ってくださいました。その車の中は同じ災害を経験した者同士が語り合える相談室のようになっていました。私は「生活支援」の対応に当たりましたが、「精神障がい」のある当事者の仲間たちにお願いして一緒に荷物を運んだり、片づけたりと支援活動をすることもありました。たとえ「障がい」があっても、まちのみなさんから「ありがとう」と言ってもらえると、彼らは元気になっていきました。

 

引越し作業を手伝ったり、災害ごみを片付けたり、「移動支援」では借上型仮設住宅から遠くなった通院への足として利用される方が多かったです。

 

災害の記録を残しつつ、新たな拠点づくりも行なう

災害の記録

 

―災害後は「真備連絡会」や「まびラボ」としてどのような活動をしてきましたか?

 

多田:

「真備連絡会」は毎月ずっと変わらずみんなで集まり、要配慮者をもう2度と取り残さないような取り組みを始めました。「要配慮者避難検討プロジェクト」です。真備では水害で直接命を亡くされた方々が51名、その中の41名が要配慮者でした。この痛い経験を繰り返さないために、安心して避難できる一時避難場所を真備連絡会の中でつくりました。国土交通省の方々と「要配慮者マイタイムライン」づくりにも取り組んだのです。コロナ禍で人が集まれない中でも、ZoomやSNSを使いながらずっとつながり続けました。

 

他にも障がい当事者の被災体験を伝える「語り部『七夕会』」が生まれ、まちのみなさんや学生さんたち、また神戸の震災で被災された語り部の方々、広島で被災した方との交流も行いました。

 

また、真備連絡会の発災から1年半の活動記録誌として「川と暮らす」という冊子を8,000冊作り、被災したまちの方々へ届けました。平成30年7月豪雨災害で被災したまちの姿を医療・福祉事業者の記録をもとに残しました。

 

―今後はどのような活動に力を入れたいですか?

 

多田:

被災者支援センターとしての「お互いさまセンターまび」の「移動支援」などの活動は終えましたが、まちの人の復興を見守るセンターとしての役割は続きます。来年度は記録と発信に力を注ぎたいと思います。現在、「川と暮らす vol.2」の制作にとりかかりました。発災から5年目となる7月7日の発刊を目指しています。また、「川と暮らす」をテーマにした子ども向けの絵本を作る予定です。「パンどろぼう」で有名な絵本作家の柴田ケイコさんが引き受けて下る予定で、水害をテーマに子どもたちへ何か伝えられないかと企画中です。

 

また、多様な人が交じり合える新たな拠点づくりにも関わっています。箭田幼稚園の前にある被災した古民家をリノベーションして、ぶどうの家さんや放課後等デイサービス ホハルさんと協働して、ママや子どもたちのサロンなど、何か楽しいことができないかと考えています。ママも子どもも高齢の方も障がいのある方も、色々な人が交じられるコミュニティになるといいなと思っています。

 

真備は、誰一人として取り残さない優しいまちへ

小田川河川敷で麦まきイベント開催

▲小田川河川敷で麦まきイベント開催

 

小田川河川敷で麦踏みイベント開催

▲小田川河川敷で麦踏みイベント開催

 

小田川河川敷で麦踏みイベント開催

▲小田川河川敷で麦踏みイベント開催

 

―災害は、真備や多田さんご自身にどのようなものを残したと思いますか?

 

多田:

真備は恵まれていたと思うのです。新型コロナウイルス感染症が流行する前に災害が発生したので、多くのボランティアの方々が馳せ参じてくださり、多い日には2,000名を超える方々が汗を流してくださいました。日本中で災害が続いていく中で、悲しい出来事もたくさんありましたが、私たちは当事者になれたと思うんです。当事者意識を持ってまちづくりができるようになったと思うのです。

 

真備では「もう誰も置いてけぼりにしたくない」との想いから、「要配慮者マイタイムラインをつくろうという声が上がりました。「いつ、どこへ、誰と、どうやって逃げるか」をまちのみなさんと一人ひとり考えておこう。そんな取り組みが「真備連絡会」だけでなく、各地区のまちづくり推進協議会、民生・愛育委員会、地区社協のみなさんから声が上がりました。コロナ禍になって人が集まれない状態になった中でも、どうにか打開策はないかと考え、働きかけてくださいました。

「要配慮者マイタイムライン」づくりもそうですが、まちづくり推進協議会のみなさんと「真備連絡会」が合同避難訓練をしたり、ご近所同士でヘルプカードを作り、何かあれば声をかけ合えるまちづくりを目指したり。まちのみなさんが自分事として苦しみを糧に起き上がろうとしているような気がするんです。

 

―最後に、真備町のみなさんや真備から離れて暮らしているみなさんへメッセージをお願いします。

 

多田伸志(ただ しんじ)さん

 

多田:

真備は、優しいまちです。被災する前より優しくなったと思います。弱い人を排除するのではなく、弱い人をもう失いたくないという思いでまちづくりがスタートしています。これから、きっとすごくいいまちになります。だから真備から離れた方は、ぜひ帰ってきてください。被災から4年で9割もの住民が帰ってきた被災地なんて多分ありません。

 

また真備は、医療・福祉の資源が多いまちです。総合病院や精神病院や訪問看護ステーション、支援学校や定時制高校、高齢・障害・児童福祉事業所などの施設が「真備連絡会」でつながっています。まちのみなさんと一緒に「まちづくり」に向かいたい。真備はきっと災害に強いまちにもなり得ると思います。