真備の笑顔のために

まちづくり推進協議会に聞く川辺地区の様子Vol.2 〜災害を機に発足した、川辺復興プロジェクト あるく〜

2022年3月30日

川辺 活動報告

平成30年7月豪雨災害から3年半が経ちました。

 

川辺地区まちづくり推進協議会(以下、まち協)が中心となって災害発生後もまちづくりを進めてきましたが、まち協とともに川辺の復興に尽力した団体があります。

 

災害をきっかけに発足した、川辺復興プロジェクト あるく(以下、あるく)です。

 

「まち協にはまち協の、あるくにはあるくの強みがある」

 

そう語るのは、あるくの代表・槙原聡美さんと、まち協の会長・加藤良子さん。

 

あるくが発足したきっかけや活動中に意識したこと、今後のまちづくりについてなどを槙原さん・加藤さんに聞きました。

 

あるくの活動は、槙原さん1人でおこなった炊き出しの運営から

まちづくり推進協議会

 

―あるくを始めたきっかけは何ですか?

 

槙原:
平成30年7月豪雨災害が起こったとき、川辺地区での支援の受け入れをしたり、住民が集まれる場を作ったりしようと発足しました。2018年8月末に1人で炊き出しの調整をしたのが始まりで、あるくの発足は10月。1人で動いていたときの私の様子を見て、声をかけてくれた方々が今のあるくのメンバーです。

 

加藤:
槙原さんはもともと親子クラブなどの活動を熱心にされていたので、まち協の一員になってほしいとお願いしました。子どもたちの体験活動を支援する活動と、事務局に入ってもらっています。

 

まち協として何か動きたくても自分のことで精いっぱいになっていたとき、槙原さんが炊き出しを始めてくれました。自分より、人のことが気になったんじゃないかと思いますよ。

 

まちづくり推進協議会

 

―炊き出しを始めたときは、どのような心境でしたか?

 

槙原:
川辺は9割以上の家が全壊しているなか、うちは8月末には2階の応急処置ができて寝られるようになったんです。決して楽ではなかったけど、家で生活ができるようになったことに罪悪感を持つようになりました。

 

「恵まれた被災者だな」と思っていましたね。負い目を感じていたからこそ、「何か川辺の役に立てることをしないと」と思いながら炊き出しから始めました。

 

加藤:
あと槙原さんが発災直後から情報発信をしてくれたんです。LINEグループ「川辺地区みんなの会」を立ち上げて、支援物資をもらえる場所とか、炊き出しをしている日時とかを伝えてくれていました。

 

若いお母さんたちはとくに助かっていたと思いますよ。子どもたちが学校に行くための物品を探したり、学校が再開するまでどう過ごすかがわからなかったり困ることがたくさんあったんですけど、LINEで繋がっていたことで安心感があったと思います。

 

槙原:
川辺には避難所がないので、誰かに相談したくても人と会える場所がないんです。情報発信も含めて、何かの役に立っていたら嬉しいですね。

 

あえてアピールを繰り返し、情報を伝える要に

まちづくり推進協議会

 

―槙原さん個人として、またあるくの代表として、活動中に意識していたことはありますか?

 

槙原:
活動を始めたときはとくに、メディアやSNSをフル活用して発信することを大切にしていました。目立ってなんぼとも思っていましたね。とにかく情報が来ないから、川辺の今を伝えることに必死でした。テレビなど、メディアにも協力してもらいながら「川辺は賑やかにがんばっているから遊びにおいで」という気持ちでアピールしていました。

 

加藤:
外にアピールして反応が返ってくることで、川辺に住む人も元気になってほしかったんだよね。

 

槙原:
そうそう。家の片付けをしていると、みんな気落ちしてくるんですよ。「先が見えなくてどうしよう」とか、「片付けをしてもどうせみんな川辺に帰ってこないだろう」とか、マイナスなことばかり考えてしまうんです。

 

だから外にアピールをして色々な支援や物資を届けてもらうことで「みんな川辺のことが心配で、気にかけてくれているよ。応援してもらっているんだよ」と伝えたかったんです。あえて、目立っていました。

 

―戦略的に表に立っていたのですね。

 

加藤:
そういう戦略も必要だと思います。だって、お手紙すら届かないんですよ。誰かの無事を知りたくても互いの行先や連絡先が分からないんですから。

 

テレビなどで情報を拡散して、目につくところに出ていくことで、一度川辺を離れて生活しないといけなくなった人にも今の川辺を知ってもらう機会にもなりました。

 

槙原:
「真備にはなかなか帰れないけど、川辺のことがテレビに出たら嬉しい」と、わざわざ連絡をいただいたこともありました。LINEグループの人数も今は増えて、600人くらいと連絡が取れるようになっています。

 

その中には川辺を離れた方もいるんですが、離れても気持ちは川辺に向いているみたいですね。結果的にアピールしてよかったなと思います。

 

即断即決できるのは、あるくの強み

まちづくり推進協議会

 

―まち協としては、あるくとどのように活動してきましたか?

 

加藤:
まち協だけではできないことを、あるくが担ってくれています。お互い協力し合って活動しているので、とても心強いです。

 

まち協は母体が大きいので、何かをやりたいとなったら関係各所ひとつひとつに承認をいただく必要があります。それが大事でありつつも、災害のときは時間をかけられないこともあるでしょう。即断即決が求められるので、まち協だけではサポートが追いつかないんです。そこを槙原さんが立ち上げたあるくが補ってくれています。

 

槙原:
まち協にはまち協の、あるくにはあるくの強みがあるから、支え合っていけたらいいよねとよく話をしています。

 

―災害から3年半経った今の川辺は、おふたりにはどのように映っていますか?

 

加藤:
一度川辺の外で生活をしていた人も、ほとんど帰ってきました。幼稚園〜中学校くらいの子どもがいる子育て世代は、友達との関係を崩したくないと言う方が多いです。

 

地域との繋がりとか、ママ友との関係とか、今まで作ってきたものがある場所に戻りたいと思っているのかなと思います。被災をしていない地域に行くのは、心理的に逆にしんどかったのかもしれません。

 

槙原:
周りにいる人と話が合うし、遠慮しなくていいし、川辺が気持ちとしても落ち着くんだと思います。愛着があるんでしょうね、川辺に。

 

災害が発生して2ヶ月後くらいに、LINEグループで「川辺に帰りたいと思いますか?」とアンケートを取っていました。すごく印象的だったのが、9割を超える人が「帰りたい」と答えていたことと、残りの1割弱は“帰りたくない”ではなくて「わからない」と答えていたことです。

 

すごいですよね、「帰らない」という手段をとる人はいないんだな、と。川辺での生活を捨てきれなかったんだなと思いました。

 

でも、防災は終わらない。大雨警報が出ただけでみんな気持ちがソワソワしています。なかなかないですよね、こんな地域は。平成30年7月豪雨災害が、川辺にとってどれほど大きいものだったかと毎回思います。災害のリスクはあるけど、前を向いていかないといけないですね。

 

帰ってきてよかったと思えるまちづくり

まちづくり推進協議会

 

―川辺に住むみなさんへ、伝えたいことはありますか?

 

加藤:
帰ってきてよかったと思えるような地域に近づけたいという思いで続けていきます。物理的なつながりだけではなくて、心が通じ合う地域になることで災害にも強くなれると思っています。

 

「自分さえよければいいんじゃないんだよ」と。災害を経験して、ひとりで生きているわけではないのは実感したし、これから先も人と人とのつながりや助け合いが大切なんだと気づいたと思います。まち協やあるくとしては、人とのつながりを作るうえでどうあるべきなのか、どう行動していけばいいのかを、みんなで考えていく次第です。

 

槙原:
川辺のみなさんには、災害をバネにして過ごしてもらいたいなと思います。災害が起きたことは悲しかったけど、悲壮感だけを語るわけではなくて「じゃあこれからどうしようか」と一緒に未来を考えていきたいんです。

 

まち協やあるくの関係性のように、みんなが強みを出し合って、弱みを補っていけたらいいんじゃないかと思います。社会福祉協議会や民生委員、消防団などいろんな団体とも協力しながら、まちづくりをしていきたいです。