まちづくり推進協議会に聞く呉妹地区の様子Vol.2 〜助け合える呉妹であり続けるために〜
呉妹 活動報告
平成30年7月豪雨災害から4年半が経ちました。真備のなかでも呉妹地区は被害の差があり、甚大な被害を受けた集落は住宅の2階が浸水するほどでした。
「できることから少しずつ助け合い活動を始めた」
そう話すのは、呉妹地区まちづくり推進協議会(以下、まち協)会長の高槻素文(たかつき もとふみ)さん。
災害後、集落での対応や呉妹地区の様子や、現在も続く地域活動についてなど話を聞きました。
片付けは住民同士で協力
―高槻さんが住む集落では被害が非常に大きかったそうですが、被災後の自宅はどのような様子でしたか?
高槻:
2階が使用できたので毎日自宅から集落の集会所や熊野神社の避難所に通っていました。集会所で集落全家に集まってもらい、これからどうしようかと話をしました。被災している人もしていない人も協力し合って、被災した人の家を順番に片付けていこうとなった訳です。
最初1日だけ集会所に泊まり、自宅に帰ってみると被害がすごくてね。水を吸ってしまっているから、全てが重くなっていました。ピアノなんて4人でも動かせませんでした。来られる人で協力して、ひとつの家を片付ける。終わったら次の家に行ってまた片付ける。その繰り返しだったわけです、私らの集落は。
掃除は本人に任せて、とりあえず片付けるだけ。私の家にも来てもらいましたが、畳一枚、布団一枚でも片付けてもらえるだけ助かりました。1週間くらいで終えられたと思います。
ほかの集落でも協力し合った話は、後から聞きました。それぞれのやり方で進められて、よかったなと思っています。
どんなことがあっても、続けてきた弾琴祭
―大きな被害だったなか、ご近所同士で助け合って過ごしていたのですね。災害後の出来事で、ほかに印象的だったことはありますか?
高槻:
弾琴祭(だんきんさい)を絶やさずにできたことです。昭和24年から始まり、災害があっても、コロナ禍であっても欠かさずに開催してきました。
災害が起きた年はまち協の会長ではなかったので、呉妹分館の館長として運営に携わっています。式典の内容は同じですが、催し物は状況に合わせて変わっていきます。毎年好評ですね。琴を演奏したり神楽を舞ったり、出演者を変えるなど工夫して開催し、最後は花火で締めています。
呉妹の文化だから、みんな思い入れが強いんだと思います。絶やすことができない催し物ですね。
―防災に関しては、何か取り組みはじめたことはありますか?
高槻:
いくつかありますよ。まずウォーキングマップを備中呉妹駅の近くに設置しました。観光マップというよりは、地元の人のためのマップですね。
避難ルートが分からなくなってしまったのが、今回の災害を経て感じた課題でした。設置したマップには、細い道も含めた避難ルートや避難所が載っています。今後避難訓練をするときは、若い人たちとこのマップを使って行いたいんです。分からない道があれば聞いてもらえると、もっと充実した訓練ができると思います。
普段のウォーキングルートとしても活用してもらえたら、健康にもいいですよね。
―早速課題と向き合って、まちづくりをされているのですね。
高槻:
そうですね。あとは防災班を新設し、防災セミナーを行うようになりました。被災後、私がまち協の会長になってから始めたことです。コロナ禍で人数制限をした年もありますが、2020年から毎年欠かさず開催しています。
3回目となった2022年は、大学の先生の講演や防災グッズの展示、非常食の配布などを行いました。また水害の体験談を2人に、防災士としての思いを1人に発表してもらいました。3人とも呉妹の人です。先生の講演だけではなくて、地域の人にも話してもらえたのはよかったと思います。
その他にも、集落ごとに自主防災組織をつくったり、届出避難所を申請したり、防災通信を作って配布したり。できることから始めようと、少しずつ活動しています。ちなみに組織率は100%近くになっています。
―最後に、呉妹に住むみなさんへメッセージをお願いします。
高槻:
みなさんの力で防災の活動やイベントなどを行うことができて、今の呉妹はいい状態なのではないかと思います。今の状態を続けていきたいですし、新しく呉妹に来られた方も今以上にイベントなどに参加してもらえると嬉しいです。
イベントに来てもらえると、近所の人との距離が縮まって親しくなると思います。困ったときは、必ず誰かが助けてくれるはずです。助け合える人間関係を、今後もつくっていただけたらありがたいなと思っています。