真備の笑顔のために

まちづくり推進協議会に聞く岡田地区の様子Vol.2 〜地域を支えてきた岡野さんが今、抱えている思いとは〜

2022年3月30日

岡田 活動報告

平成30年7月豪雨災害から3年半が経ちました。

 

復興に向けた活動に邁進するなかで「岡田が一つになれる」そんな手応えを感じはじめたなかで、新型コロナウイルス感染症が発生します。

 

「コロナは災害よりきつい」

 

そう語る岡田地区まちづくり推進協議会(以下、まち協)の副会長・岡野照美さん。

 

災害を経て取り組んだこと、いま岡田地区のみなさんに伝えたいことなど、岡野さんに話を聞きました。

 

地域の力を災害時に活かす難しさ

 

まちづくり推進協議会

 

―岡野さんは、いつから真備に住んでいるのですか?

 

岡野:
真備に来て36年になります。来た時、親子で早く地域に馴染むために幼児クラブの役員を受けたのですが、その後幼稚園の役員、小学校の役員、村づくり、コミュニティなどの役を次々と受けることになり、今は岡田まち協(岡田まちづくり推進協議会)の副会長として活動をしています。

 

真備に来てびっくりしたのは、運動会でした。幼稚園や小学校ごとの運動会ってあるでしょう。それだけではなくて、地区ごとの運動会があって、さらに真備町全体の運動会があるんです。1ヶ月間、すべての日曜の予定が運動会で埋まるほどでした。

 

真備町全体の運動会となると、選手選出や勝つための作戦会議があって、時には夜中まで話し合いが続きます。今はもう全体の運動会はありませんが、当時の名残りでしょうか、町全体の行事となるとそれぞれの地区が個性や力を出しています。

 

―たしかに、真備は地区同士の結びつきが強い印象があります。

 

岡野:
そうでしょう。それがいいところだと思うんです。

 

平成30年7月豪雨が起きた時は、以前からの人と人とのつながりもあって、助け合いが多くありました。新しく岡田に住みはじめた人もいて、地域活動が難しくなってきた頃でしたが、避難所運営の協力や支援物資の配布、炊き出し、倉敷市真備公民館岡田分館の片付け、ボランティアサテライト運営など多くの人が参加協力してくれました。

 

助け合いの大きな力になってくれたのが、災害発生時に水が来なかった岡田地区の北側に住んでいる人たちでした。ほかにも、自宅の水道から水が出る人は水を運び、電気が通っている人は氷を作って運び、台所が使える人は料理を運ぶなど、個人的に活動してくれたのです。地域力を感じる出来事でした。

 

まちづくり推進協議会

 

―避難所の様子はいかがでしたか?

 

岡野:
「岡田は水は来ない地域」「災害はない地域」と、役員を含めてほとんどの住民がそう思っていたと思います。でも防災研修は毎年実施していたので、災害発生時の7月6日から7日にかけては避難者が2000人詰めかけました。

 

倉敷市立岡田小学校の避難所を見に来た人から「避難者の人数が多いのに落ち着いていて、区画整理ができていたのに驚いた。防災研修していたおかげだね」と言ってもらいました。褒められて嬉しかったけれど、実はそれ以上にすごく悔しかったのです。

 

防災訓練はしていたけれど、いざ災害が起きたら避難所準備品は何も運べませんでした。避難準備物を書いていた紙も、見ていない人が多かったと思います。筆記用具も紙もないから、多くの人が詰めかけた避難所では「受付すらできる状況ではなかった」と聞きました。

 

避難場所の体育館は、すぐに人がいっぱいになりました。その対応として、時間はかかりましたがほかの教室を開放してもらいましたね。

 

お互いに助け合ったり、まちづくりの会長が避難所開所から閉所まで毎日避難者の皆さんに寄り添ったりしていたことで安心感があった一方、避難時や避難生活などでは多くの課題がありました。「訓練は役に立たんかった」と言われたこともありました。

 

平成30年7月豪雨災害の経験を活かせるように、きちっと災害の記録を残し、助けを求められる地域づくりをしようと決めました。これからの防災活動に生かせるものにしたいと行動しはじめたのです。

 

まちづくり推進協議会

 

―具体的には何を行ったのですか?

 

岡野:
記録を残し、今後の地域の防災活動に役立てるために作ったのが「岡田を災害に強いまちに」の冊子です。現在は①「にげる」と②「いきる」を発行しています。

 

被災後の9月9日にまちづくり委員会で記録を残すことを提案しました。何もない中で、どう進めて行けば良いのか悩んでいた時に神戸大学の学生ボランティアの皆さんが手を差し伸べてくれました。「地域のみなさんを集めてくれたら聞き取り調査のお手伝いはできますよ」と。これが「岡田を災害に強い町にする会」の始まりです。

 

当たり前のことですが、直接話を聞かせてもらいたいと思ってもなかなか人を集めることができませんでした。それどころではないのです。それでも幅広い世代の声を聴くためアンケートを実施しました。そして、返ってきたアンケートを見て驚きました。びっしりと回答が書いてあるのです。こんなに文字が書いてあるアンケートを、私は初めて見ました。

 

特にびっしりと書いていたのは、小さい子どもがいるお母さんたちでした。小さい子どもを守りながら、親の面倒も見ている世代だったんです。若い人たちが苦しい思いをしていたことに気づき、「こんなに大変だったんだな」と痛感しました。

 

いてもたってもいられず、幼稚園に子どもを預けているお母さんたちに「アンケートをしっかりと受け止めて、無駄にしない。役に立つものを作るから」と約束をしました。

 

―記録を残して、伝えていく大切さを感じていらっしゃるのですね。

 

岡野:
自分たちが経験した体験を記録に残し伝えていくことが私たちの役割だと思います。これから岡田で生まれ、岡田で生きていこうとする人すべての人に「災害発生時は何が起こり、私たちはどう動いたのか、その結果どうなったのか、そしてどうすれば良かったのか」、体験した私たちがしっかり話し合い、考え、伝えていくことで岡田を災害に強いまちに、一人も取り残さないまちにしたい。そのために頑張っていこうと思います。

 

―今一番伝えたいことは何ですか?

 

岡野:
これからの防災を考える時は「情報のキャッチが大切」と思っています。避難する時、また被災後の生活でもたくさんの情報が必要になるからです。多くの情報を地域の人に伝える方法をずっと考えてきました。

 

しかし、それだけではいけないと思うのです。地域の人が情報を受け取る方法を知り、自分に必要な情報を自分で得られるようになることが大切だと思います。情報を伝えても、最後は個人が動かないとどうしようもないのです。もちろん逃げる時はご近所への声かけも大切だけど、自分で自分の命を守る大切さをもっと身近に話していきたいと思っています。

 

「誰かが助けに来てくれるだろう」ではなく、「助けて」と声を上げる。避難する方法がわからなければ、「わからん」「どうすれば良い?」と言える関係を作る。でないと、助けたくても気づけないかもしれない。だから「助けて」を素直に言える地域づくりをしないといけないと思っています。「困った時はお互い様」の優しい地域づくりを進めていきたいと思います。

 

コロナ禍で人とのつながりが薄くなる危機感

 

まちづくり推進協議会

 

―発災後も、岡田地区のために思いを持って行動されていたのが伝わってきました。

 

岡野:
私にとっては、住んでいる地域のために何かをするのは当たり前のことなのです。欲を言えば、岡田地区を各種団体ともっと協力し合える地域にしていきたいと思います。

 

正直、新型コロナウイルス感染症で岡田のみなさんと集まれないのがしんどいです。お互い顔を見れば安心できる、と災害発生時に実感していましたから、集まって何かできないのが本当に悔しいです。

 

被災した時に協力体制ができかけていたので、「このまま地域づくりにも積極的に参加してもらえたらいいな」と思っていた矢先のコロナでした。岡田地区としていい方向に向かえそうだったのに、そもそも活動ができないから何と言えばいいのかわかりません。

 

―もどかしい思いがあるのですね。

 

岡野:
せっかく気軽に地域の話ができるようになってきていたのに、そのつながりが切れるんじゃないかと思うと怖いです。切れるというより、気がついたらシューっと消えていて、なかったことになってしまうのではないかと危機感を持っています。災害よりきつい。今の率直な気持ちです。地域のコミュニティがなくなってしまうことが不安です。

 

コロナ禍でも双方向でコミュニケーションが取れるような手段は何かないかと、探しています。なんでもいいから、とにかくつながっていくのがこれからの地域づくりの課題です。

 

災害で痛めた菖蒲園の芝生を地域の人たちと18年前に植えたように先日張替えました。この広場が岡田分館同様新しいまちづくりの基地になるよう、役員と一緒に今後の活動計画を立てていきたいと思っています。