真備の笑顔のために

“地域に溶け込む”生活支援コーディネーターが振り返る、災害前後における真備の地域活動 ~地域に出向き、住民の声を聞き続けた視点から~

2023年3月30日

全地域 活動報告

平成30年7月豪雨災害から4年半が経ちます。甚大な被害を受けた倉敷市真備地区では住民自らの手で地域活動を続けてきました。

 

住民の地域活動を地域に出向きながら支えてきたのが、生活支援コーディネーターです。倉敷市では、社会福祉法人 倉敷市社会福祉協議会(以下、社協)の職員が担っています。

 

生活支援コーディネーターとは、地域に足を運びながら地元に住む人の声を聞き、困りごとがあればともに解決を目指し、強みや魅力を広げる人。地域に溶け込み、住民とともに地域活動を推し進める仕事ともいえます。

 

今回は、災害発生時に生活支援コーディネーターとして活動していた5名に集まっていただきました。松岡武司(まつおか たけし)さん、水野孝昭(みずの たかあき)さん、松本和徳(まつもと かずのり)さん、山本知穂(やまもと ちほ)さん、山下雅光(やました まさみつ)さんです。被災地での地域支援活動を通して感じた真備の魅力や、災害発生当時の真備の様子、災害後に感じる変化などを伺いました。

 

地域に出向き、住民の話を聞いて人とさまざまなものを繋ぐ

 

―生活支援コーディネーターの仕事内容を教えてください。

 

水野:
生活支援コーディネーターは倉敷市からの委託を受けて社会福祉協議会の職員が業務にあたっています。

 

松岡:
倉敷市での生活支援コーディネーターによる活動は平成28年度に始まりました。活動内容を「高齢者の社会参加・介護予防・生活支援の促進」と謳っていますが、高齢者に限らず「高齢者の暮らす幅広い地域」を支援することが仕事です

 

社協全体としては、「誰もが住み慣れた地域で、自分らしく安心して暮らし続けることができる福祉のまちづくり」を活動テーマにしています。“住み慣れた地域”には、家があったり、馴染みのある人との関係性があったり、よく行く場所があったりしますよね。その関係づくりや場所づくり、しくみづくりを、生活支援コーディネーターは応援しているのです。

 

山本:
具体的には、地域住民の仲間入りをして、みなさんの声を注意深く聞かせていただいています。会議だけでなく雑談等の身近な交流やおしゃべりのなかから出てくる個人や地域の困りごとを聞いて、人と人、人とさまざまなものを繋ぐような役割です。

 

例えば「〇〇さんが最近元気がなくて、どうしたものか」と話を聞いたら、教えていただいた方と一緒にご自宅を訪問したり、人との関わりが持てそうな場所があったら紹介したり、専門機関に繋げたりしています。

 

個人の課題を地域の課題として取り上げるのも大切な役割です。あらゆる人と接して色々なことを教えていただきつつ、フットワーク軽く地域に出向いて、一人ひとりが元気に楽しく過ごせるように一緒に考えていけたらと思っています。

 

山下:
困りごとももちろんですが、地域の強みもクローズアップしています。地域活動の効果を見える化しながら、他の地域にも広げていく。倉敷市内全域が元気になることを視野に入れるのが大切です。

 

松本:
地域に出向く仕事のなかには、小学校区で行なわれている「小地域ケア会議」に参加することもあれば、誰かの家のガレージのような場所で居場所づくりや支え合いの活動の話を聞くこともあります。社協の事務所に自分のデスクはありますが、地域に出向いている時間の方が圧倒的に多いですね。

 

地域活動が盛んな真備は、自主自立型で場を継続している

地域活動が盛んな真備は、自主自立型で場を継続している

 

―生活支援コーディネーターとして活動していて、災害前の真備はどのような印象でしたか?

 

松岡:
どの地区も、自分たちの地区の強みと課題をしっかり把握し、地域愛にあふれたまちという印象です。

 

例えば服部には高齢の方が多いけれど、課題は高齢者の数ではなく、誰かに支援が必要になったときにどう気づいて、支えたらよいかその方法が共有されていないことだと分かっていました。

 

その課題を解決するために「できることからやろう」と、日頃から挨拶をしたり声を掛け合ったりと、つながりを深めながら課題解決の方法を手探りで模索していたんです。互いの暮らしぶりがよく分かっている地域でもあるなと思います。

そのつながりがあったからこそ発災時に救われた命もありました。

 

―災害後に感じた変化はありますか?

 

松岡:
もともと地域活動が盛んで、サロンの数も多かったのですが、災害後はさらに増えて2倍くらいの数になりました。

 

災害発生後は僕たちもみなさんの思いを受け、積極的に住民同士の出会いと交流の場づくりを支援していたんです。水害で各地区の公共施設などが使えないなかでも、様々な工夫や、ボランティアさんたちの力も借りながら炊き出しやおしゃべり、レクリエーションなど、日常を取り戻す活動が広がりました。

 

そして少しずつ、自分たちの力で居場所の運営を続けています。真備の強みは、きっかけをきっかけで終わらせず、自主自立型でみんなが集まる場を継続できる力を備えていること。災害が起きてから4年半の間には、生活拠点が避難所、仮設住宅、再建した住まい等に移ったり、コロナ禍により交流の場が減ったりしたときもありました。でも、住民の力でその都度、つながりを紡ぎ直して、活動を継続することはなかなかできることではありません。

 

災害前から築いてきた、自分たちの地域について考えて活動してきた土台があるのは何よりの強みだと思います。

 

―他にも、真備らしさを感じるときはありますか?

 

生活支援コーディネーター

 

山下:
小学校単位を大事にしているのも地域性ですかね。仮設住宅で生活していたときは、一時的にこれまでの住まいのある地域を離れて暮らしていた方が多くいました。ただ、住んでいた小学校区内でイベントがあると、そのときにはみんなこの場所に戻ってくるんです。集まる人数が本当に多かった。

 

松本:
地区単位のつながりの意識が強く、他の地区の活動にいい意味で刺激を受けていますよね。他の地区でやっているイベントを知っては、自分たちの地区でも良いところを取り入れてイベントをやろうとしている。これは真備の特徴かもしれません。

 

松岡:
僕が思う真備らしさは、受け入れる懐の広さと人懐っこさです。被災地支援で来てくださった市外・県外の支援者のなかには、真備住民やまちの魅力に惹かれて真備のことが大好きになり、真備に引っ越してきた方もいるほどです。

 

地域住民との対話を大切に

生活支援コーディネーター

 

―災害発生直後はどのように活動していましたか?

 

松岡:
私は、最初は倉敷市災害ボランティアセンターのニーズ受付班にいました。ボランティアを希望する被災者からのボランティア受付や相談対応等をしていましたが、その後、生活支援コーディネーターを真備町に固め、担当エリアを決めて現地の地域支援に入るようにしました。

 

松本:
災害があって、最初の1週間は「支援体制を軌道に乗せないと」とみんな必死でした。1週間経つと、真備町の各地区に災害ボランティアセンターの現地拠点(サテライト)が立ち上がり、岡田地区に僕が、服部地区に水野さんが配置されました。

 

生活支援コーディネーター

 

水野:
初日の出来事はすごく覚えています。

サテライトに来た人がすごい剣幕で「あっちもこっちも被災しているのに、こんなところにいて」とおっしゃったんです。びっくりしましたが「じゃあ案内してください」と言ったら、「乗って!」と車で案内してくださいました。

 

地域の方と一緒に訪問すると、色々な話を聞くことができました。おさえきれない感情を露わにされる方も多かったのですが、地域の方と一緒だと落ち着いて話をしてくれました

 

今思えば、住民のみなさんと一緒に地域づくりができるようになった、一つのきっかけだったと思います。

 

山下:
自ら足を運んで地元の方の声を聞きに行くって、生活支援コーディネーターならではの発想ですよね。災害前の経験があったから、できたことが多かったと思います。

 

水野:
様々な支援者にボランティアセンターサテライトの運営をお任せできたのも、地域に出向けた理由のひとつです。

 

松岡:
被災地支援にフットワーク軽く入ることができた背景には、倉敷市特有の生活支援コーディネーターの体制が関係しています。これまでも、地域の「今の課題」にしっかりと寄り添う支援を大切に活動していましたが、災害が起きた平成30年度は生活支援コーディネーターが3人から5人に増員した年でもありました。

 

5人の生活支援コーディネーターがより柔軟に持てる時間のすべてを「地域づくり」に使えることができる体制があったことと、多くの支援者が災害ボランティアセンターを下支えしてくれた関係があったからこそ、早い段階での被災地支援につながったと感じています。

 

住民の声は、タイミングによって変化する

 

―災害が起きてから「この時期にはこういう声が多かった」など、印象に残っていることはありますか?

 

松岡:
災害発生から2週間~1か月後は「みんなの顔が見たい」「みんなと一緒にこれからのことを考えていきたい」という声が出始めたのを覚えています。

 

山下:
行き先確認と同時に、「真備に帰ってきてもらうにはどんな取り組みができるか」を各地区で考えて開催し始めたのが発災から1か月後のお盆前くらい。例えば呉妹では「がんばろう呉妹」というイベントをして、住民同士の再会を支援しました。

 

呉妹の活動を知った他の地区も集いや交流会を行なうようになったのが、8月末から9月頭にかけてだと思います。

 

水野:
災害から1か月経つと、仮設住宅などの行政手続きに戸惑う方が多かったです。

 

僕が担当した服部では、地区のみなさんの集まりに高齢者支援センターの方や災害ボランティアセンターの方などを呼んで、ごはんを食べながら相談したり、様々な専門職とつながったりする場を設けました。顔を合わせて相談できる場を作っていたのだと思います。

 

生活支援コーディネーター

 

松本:
1か月後には岡田でもイベントを行なっていました。少人数でしたが、夏祭りを開催したんです。

 

きっかけは、地元のボランティアさんが子どもたち手作りの行燈(あんどん)をきれいにしていたことでした。「それは何ですか?」と聞くと、夏祭りに飾る予定だった行燈であること、子どもたちが菖蒲の花と自分の夢を書いたから飾ってあげたかったことを教えてくれて、「せっかくきれいにしたのだから、飾りましょう」と提案し、みんなで準備を始めたのを覚えています。

 

当時はまだ電気が通っておらず、行燈を灯らせるには発電機が必要でした。他の生活支援コーディネーターに声を掛けて、発電機や会場の準備を手伝ってもらい、無事に行燈の展示と夏祭りを開催できたんです。

 

徐々に、岡田のサテライトには人が集まるようになりました。ボランティア活動の合間にお茶を飲んだり、久しぶりの再会の場になったり、誰かに会いたいという理由でサテライトに来る人も増えましたね。

 

松岡:
人と会うとか、イベントの準備をするとか、日常を取り戻すための場所が地域のサロンや交流の場づくりだった。そしてそんな、出会いと交流の入り口を作り、そこから広がる活動を後押しする役割を担当したのが、生活支援コーディネーターでした。

 

生活支援コーディネーター

 

―災害発生後に活動するうえで、意識していたことがあれば教えてください。

 

水野:
個人的には、大きな被害はなくとも被災した方々に向けて、声を掛けるようにしていました。

 

真備だけでなく児島・水島で被災した方々のことも気になっていました。児島や水島の被災者のご家庭を1軒ずつ訪問していると、「自分らが助けてほしいというのは贅沢だと思っていました」という声を聞くことがあったんです。「声を挙げていいんですよ」と話し、信頼関係をしっかりと作っていこうと思いました。

 

山下:
真備も全員が被災しているわけではなくて、被害が少ない人やほとんどなかった人がいた。そういう方々もそれぞれに悩みや暮らしづらさを抱えていました。災害発生時に真備でそんな声を聞いてきたからこそ、児島や水島などの地域にも展開できたのだと思います。

 

災害から1年、2年経ったときって「被災の経験を真備だけのものでは終わらせないぞ」と思うようになりましたよね。

 

松岡:
そうですね。生活支援コーディネーターが各地区に配置された経験をもとに、活動事例集ガイドブックを発行しました。例えば地域の交流の居場所をまとめた「通いの場ガイドブック」は真備を離れて暮らす被災者が地域で孤立しないよう、つながりを紡ぐためのツールとして発行し、被災者や関係者へ配布しました。

 

地域に溶け込み、伴走できる存在でいたい

生活支援コーディネーター

 

―災害当時を振り返って、今どのようなことを思いますか。

 

山下:
ボランティアさんや他の地域の社協など、連携できる先があるのは心強かったです。僕たちだけで地元の声に寄り添っていくことはむずかしいので。

 

連携先が多いから、生活支援コーディネーターとしての信頼を得られたと思います。困りごとを解決する選択肢が多いから、地元の方の安心感になったり「さらに〇〇がやりたい!」の声に繋がったりしました。

 

水野:
被災地支援の当時の話をすると「むずかしそう」と言われることがあるのですが、実際は逆です。むしろ活動しやすかったと思います。もちろん大変な状況はありましたが、普段以上に「こういうことがやりたい!」の声が出てくるんですよ。生活支援コーディネーターとしてはその声に寄り添うだけなので、話を聞かせてくださり非常にありがたかったです。

 

松岡:
災害支援をしていたときの「地元住民の声を聞き、人や物と繋げながら一緒に地域をつくっていく」活動は、社協の動きの基本です。災害があってもなくても、活動の基本は変わりません。ただ、生活支援コーディネーターだけではなく社協職員全員がこの基本を意識しないといけないと強く思ったのは、災害がきっかけだと思います。

 

なかでも生活支援コーディネーターは、痒いところに手が届くようフットワーク軽く走り回れるのが強み。それを再確認できました。

 

生活支援コーディネーター

 

―今後は、真備のみなさんにとって生活支援コーディネーターがどのような存在でありたいですか?

 

水野:
みなさんには「将来的に僕のことは忘れてくれ」と言っています。真備のみなさんだけで何でもできるようになるのが、何よりも嬉しいことです。

 

でも、どこに相談したらいいのか分からない困りごとがあれば、引き続き社協の職員や生活支援コーディネーターが出向いて話を聞けばいいと思っています。行動できる幅が広い強みを活かしながら、課題を拾って地域をつくる役割でいたいです。

 

松本:
地域のニーズに応えるのが社協の仕事だと思います。災害時であっても平時であっても、スタンスは変わりません。

 

そのために僕たち生活支援コーディネーターが、真備との関わりを持ち続けたいと思っています。僕たちから地域に出向く“アウトリーチ型”を大切にしながら、生活支援コーディネーターの存在を理解してもらえるように活動していきたいです。

 

松岡:
生活支援コーディネーターのあるべき姿は「地域に溶け込む」ことだと思います。

 

住民にとって住み慣れた地域には、顔馴染みの方々がいて、まちの暮らしに愛着が湧く。長い間その地域に根を張ることで生まれる安心感や関係性や役割こそが住民にとっての財産だと思います。その財産を守るためにコーディネーターの仕事があるからこそ住民も共感をしてくれて一緒に地域づくりを頑張ってくれている。そんな仲間として受け入れてもらい、「まずは松本に聞いてみよう」「水野に聞いてみよう」と自然と思っていただける存在でありたいと思っています。

 

それに僕たちと同様、地域づくりの意識を持っている行政や保健師さんや高齢者支援センター、事業所の方々も含めて「地域」なんですよね。連携するから解決できる地域課題がありますし。広い視野を持ちながら、地域をコーディネートする存在でもありたいですね。

 

山下:
僕は今は生活支援コーディネーターから真備支え合いセンターの職員になりました。所属が少し変わった今考えても、生活支援コーディネーターって地域の伴走者だと思います。寄り添う存在だな、と。

 

寄り添い方にもいろいろあって、一歩前で寄り添うときもあれば、横にいるときも、一歩下がっているときもある。寄り添い方を変えながら、地域の人を孤立させない存在でいるんだろうなと思っています。

 

「地域活動は楽しいもの」と教えてくれた

生活支援コーディネーター

 

―最後に、真備のみなさんへメッセージをお願いします。

 

水野:
僕たちを受け入れてくださったことに感謝しています。元々僕は真備とは縁がなかったものの、最終的にはあたたかく迎え入れてくださいました。みなさんの仲間に入れていただいたから、活動しやすかったです。「生活支援コーディネーターなんかいらん」と言わずに、受け入れてくださってありがとうございます。

 

松本:
僕も同じです。実は僕は平成30年に生活支援コーディネーターになった新人でした。まだ真備のことを把握しきれていない状態で災害が起きたので、「大丈夫かな」と思っていたんです。でも真備の方々に地域のことを教えてもらいながら、「こんなことがやりたいんじゃ」の声をもとに活動することができました。

 

地域の活動って、楽しいものだよね」と思い直せたのもみなさんのおかげです。印象に残っているのが、岡田のサテライトがまびいきいきプラザに移転するからとお別れ会を開いてくれたとき、集まってくれた方々が「被災して大変だったけど、みんなで一緒に何かをつくることで前向きになれたよね」と話していたことです。

 

生活支援コーディネーターをやっていて、楽しいと思うことがたくさんあります。これからも真備のみなさんと一緒に、地域づくりができる役割でい続けたいです。

 

山下:
僕は仕事内容が当時と変わりましたが、今も真備の取り組みを真備の方々から教えていただいています。感謝の気持ちをお伝えしたいです。

 

松岡:
真備での災害の経験や災害後の歩みには、真備のこれからに向けてのヒントがたくさん詰まっていると思います。真備だけではなく、倉敷市全域、また日本全体が抱える様々な地域課題の解決のヒントがあるはずです。大変なこともあったけど、真備のみなさんが一つひとつを歩んで、止まって、振り返って……を繰り返してくれたことで、僕たちも一緒に進むことができました。

 

僕たちは、皆さんが真備でがんばってきた歩みを魅力たっぷりに発信する必要があります。これまでの歩みを語りたいし、これからもみなさんの伴走者として、応援していきたいと思っています。